私は高校教諭だったので志田(旧姓)先生と呼ばれていました。日本語学校でも先生と呼ばれました。
私自身、学校の先生を敬意を込めてそう呼んでいたので、子どもたちよりは、日本語勉強中の学生よりは、専門分野の知識はあるからそう読んでもらってもいいと思っていました。
議員候補者時代、私を先生と呼ぶ人たちがいました。非常に違和感がありました。当選してすぐ証書付与式の時に「先生、こちらへ」といわれ、違和感がありました。
議員団控室で受付の方から「大山先生、お電話です。」といわれ、誰の事かわかりませんでした。その後、自分のことだとわかるようになりましたが、違和感があります。回を重ねて慣れてきましたが、違和感があります。ましてや、ついこの間まで一緒に選挙活動した方が訪ねて来られて、一夜明けて突然先生と呼ばれている自分は穴があったら入りたい感じです。
自民党の鈴木恒夫さんは港北区の人。元文部大臣。港北9条の会に来られて集団的自衛権をめぐる昨今の動きをどう見ているか話してくださった中に、自分を決して先生と呼ばせなかったというエピソードが。私も当選したらそう呼んでもらわないようにお願いしようと心で思っていたものです。
しかし、一緒に当選したものの、すでに10年以上市議キャリアをもつ仲間の3人はどう感じているのか。少なくとも今までの議員活動の中でなんども人助けをしてきただろうし、実績をあげてきた方々はその敬称に恥じないに違いない。と思ってみていました。しかしある方は「〇〇議員って呼んでもらおうか」と。またある方は「馬鹿にされているように感じている」と。ま、いずれにしても健全な感覚をお持ちなのだなという思いがしています。
例えば県の職員さんはそれで言い習わしているでしょうし、議員団の中で特に声もでていない。「だったら私も恥じながら呼ばれてみよう。そして呼称に恥じない力をつけよう」という結論に達しています。私の場合はまだまだまだまだ勉強しなければならないことが山積しています。まだ県民のためにやらなければならないことがまだまだまだまだあります。経験不足な私を先生と呼ばせてしまって申し訳ないし、呼ばれるのは不本意ですし、人によってはお腹の中で何と思っているかと思うとほぼ失礼だともいえるのですが、甘んじてその呼称を受け止めようと。私の働きが本当にそう呼んでもらってよくなるように、がんばろうと思い定めております。
大辞林 第三版の解説
せんせいといわれるほどのばかでなし【先生と言われるほどの馬鹿でなし】