戦争する国づくりストップを!
ひたむきに県政
神奈川県議会議員

大山奈々子

おおやま ななこ

活動日誌

横浜米軍機墜落事故から40年。受け取ったバトン

2017年9月25日

1977年9月27日横浜市緑区(現青葉区)に墜落した米軍機。この事件の痛苦の経験を次代に伝えようと現地青葉区では、「渡そうバトン」というメモリアル集会が24日に催され、みどり公会堂は第二会場第三会場まで埋めつくす大勢の人たちであふれました。

この事故が起こった時、中学生だった私は京都にいてこの事故を記憶していません。情けない話です。しかし、こちらに住んで20年。この事件を風化させまいと母子像を建立し語り続けてきた担い手でもある新婦人の会員となって、繰り返し学んできました。しかし、この会で新たに知る事実や見た写真がありました。

本当に事件現場でピースサインをする米兵…。(ベトナム戦争に従軍した故アレンネルソンさんは、ベトナム人を虫けらだと思えと叩き込まれたといいます。オスプレイの名護市沖墜落事故の抗議を受けて、パイロットの操縦で地上墜落を回避したことを「感謝されるべき」と米軍高官がいったということが思い出されます。)

冒頭の金子みすずの合唱曲に始まり、吉池実行委員長はじめ、この事件にかかわってきた方々の活動の歴史、遺族のご遺志を結実させた神田香織さんの講談…涙腺崩壊でした。

一緒に写真を撮らせていただいたのは、当時の共産党県議。現場にかけつけ、被害者、ご遺族に寄り添い、神奈川県議会で「米軍人にも、日本の捜査権が及ぶ」という答弁を引き出して、被災者救援の道を開いた齋藤淑子(よしこ)先輩です。

ユニークで明るい演説をされる方とうかがっています。私を励ましながら、一言「楽しくね」とおっしゃったのには、ハッとしました。

とてもお元気でした。懐かしい方もいらっしゃると思うのでご紹介します。

私の名刺の裏には、「米軍基地に抗議するとき、必要でしょ」と新かながわの編集長にアドバイスされた通り、何者かわかる英語の肩書が裏に記されています。これを使わずにすめばいいのにと思いながらも現実には年に何度も部品落下や墜落やという事件が起こっています。今年は海上での米艦の衝突事故も頻発しています。

普通の幸せが国策でうばわれたことにおいて、これは「事故」ではないわけです。二人の幼子の分まで生きて真相を追及しようとした林和枝さんの死は謀殺の疑いも濃厚だといわれています。

前途を絶たれたユウ君ヤス君はじめ、基地ある限り生み出され続ける、死傷者数だけでも、万をはるかに越える犠牲者の無念を受け継ぎ、平和な神奈川、平和な日本を実現するために全力を尽くそうと思うものです。

基地は、日本の安全は、と思うと来る衆議院選挙でなんとしても好戦的かつ独善的な政権を終わらせなければと意を固くしました。受け止めたバトン。渡そうバトン。

 

 

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